こちらの考察はあくまで私個人がこう考えるよ、と言う考えを述べています。
確定情報ではありませんし、間違っていることもあるかと思います。
また、イシュプールさんのネタバレを全開でしておりますので、ネタバレがダメな方はこの記事を読まないように願います。
やっと書き始めたかと言われたらその通りですが、このシリーズは結構長くなりますよ(笑)。
この考察の中で、「地べたを這いずりのたうつ蛇」=「落陽を呑む忘我の毒蛇」なのかを確認したくて、カスミちゃんのキャライベントである「花言葉を伝えて……」を見返しました。
そんなところから、考察を始めていきます。
「地べたを這いずりのたうつ蛇」=「落陽を呑む忘我の毒蛇」?
「花言葉を伝えて……」のイラストを見る限り、少なくとも「地べたを這いずる蛇」=「アシャクァトル」という図式は成り立つと感じました。
これは、「花言葉を伝えて……」で出たきた「地べたを這いずる蛇」と「太陽に弓を引く蛇」に出てきた「アシャクァトル」と同じイラストだったので、ここは同じ人物であると考察することができます。
「落陽を呑む忘我の毒蛇」=「アシャクァトル」?
こちらも成立できるのです。「The Shining Shadow 第二章~太陽に弓を引く蛇~」に出てきたアシャクァトルをイシュプールさんは「私の探し人なんだ」と言っていました。
元々、イシュプールさん個人の思い出に、探している人物は「落陽を呑む忘我の毒蛇」であることを明言しております。そのイシュプールさんが明確に同じ言葉で指している人物であるので、「落陽を呑む忘我の毒蛇」=「アシャクァトル」であると私は位置づけました。
しかし……「花言葉を伝えて……」で色々意味深なことを言っているイシュプールさん。このセリフで分かったのですが、彼は基本的に比喩表現が多いということです。おかげで考察が迷走しそうだなぁって思いつつも、私は負けない(笑)。
さて、これで「アシャクァトル」=「地べたを這いずりのたうつ蛇」=「落陽を呑む忘我の毒蛇」と言う立ち位置ができましたので、この記事について語り始めることができます。
「落陽を呑む忘我の毒蛇」はどんな人であるか。
そこから掘り下げていこうと思います。
イシュプールさん曰く、
「彼は数万年前に闇に打たれた、太陽と蛇の民の里の偉大な大戦士だった」
という。
そして、イシュプールさんと「落陽を呑む忘我の毒蛇」との間に面識はない。
イシュプールさんからも、「落陽を呑む忘我の毒蛇の存在は伝説」と言われている以上、彼にとってその存在自体も陽炎のようなものだったのだと思います。
この辺りについて掘り下げるためにはイシュプールさんの年齢と時間軸を明確にする必要がありますので、別の記事で考えたいと思います。
「落陽を呑む忘我の毒蛇」は元々人間です。
永きに渡って苦しみを受け続け、自分自身の存在すら曖昧にしてしまう見返りとし、最終的に「落陽を呑む忘我の毒蛇」が一番強いと言われているそうです。
名は体を表すというのがそのままですよね。彼は自分を失いそうなほどの苦しみの中、一つ見えた綺麗なものを守った。
綺麗なもの……盲目の彼女だから、幾百もの蛇が蠢く魔物のような姿を見られることもなかった。
どんな姿であろうとも、内側にある尊いものを見つけることができた彼女を何よりも美しいと感じたんだろうな……。
そうです。この我を忘れるほどの苦しみの中で見つけた少女こそ、白百合の乙女であるフローリアちゃんだと思います。
落陽を呑む忘我の毒蛇へのフローリアちゃんの話。
とは言ってもお花のことです。
これは以前書いた記事と重複するのですが、敢えてここにも書きます。
フローリアちゃんは「落陽を呑む忘我の毒蛇」を「スイレンの人」と呼びました。
彼の香りとまとう雰囲気がそう感じたのだと思います。
では、スイレンの花の花言葉はなんでしょうか?
スイレン(水蓮) ……水蓮の花言葉には「信頼、信仰、清純な心、滅亡」
正直に言って、この花言葉自体も「落陽を呑む忘我の毒蛇」を表す大事なキーポイントだと私は思っています。
信頼はフローリアちゃんから。
信仰は、されていたと思っています。まあ、これについては追々……。
清純な心は彼が人間だった時の心、もしくは今苦しんでいる中で残っている心かなって。
滅亡は彼自身の精神ではないかと。
落陽を呑む忘我の毒蛇の名前の由来を考察
由来は、この先に語る予定の「贋作の太陽」とイシュプールさんにもかなり深いお話にもなります。
落陽を呑む忘我の毒蛇であるアシャクァトル。
彼の名前の由来は、恐らくアステカ王朝の6代目皇帝、アシャヤカトルだと思います。
名前ニアピンでしょ?(笑)
勿論、ニアピンだけではなく、そう思う根拠があります。
まず、「アシャヤカトル」と言う人物がアステカに関わる人間であること。←ここ重要
そして太陽に関わりを持つ人物であること。←ここ最重要
メキシコの国立人類学博物館にある「太陽の石」を作らせた皇帝だと言われています。
イシュプールさんも、贋作の太陽も、ルーツに当たる由来は神様です。
それに対して、「アシャクァトル」は「アシャヤカトル」と言う人間が由来になっています。
これは凄く意味のある配置なのではないかなって、私は思っています。
でも、こうなるとイシュプールさんに対して結構疑問が出てくるのですが、それは追々紐解いていきたいと思います。
個人的に……ゲオルグさんが出てしまったのでダメだと思いますが、アシャクァトルが神になった時の声優さんにゆーきゃん使って欲しかったです(笑)。
と、大したこと言っていない上に、なんだか纏まりのない状態になっておりますが、「落陽を呑む忘我の毒蛇」については一度こちらで締めとさせていただきます。
次はイシュプールさんについて語っていこうと思います。
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